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戦国時代はいつからいつまで? 群雄割拠の時代あれこれ

戦国武将の鎧

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戦国時代は現代の日本では非常に人気のある時代です。博物館などで戦国時代関連の展示会を行いますと、けっこう集客がいいようです。

さて、いわゆる日本での「戦国時代」は歴史年表的には応仁の乱からはじまったということは義務教育中に習いますので、戦国時代の始まりは広く知られていますね。しかし、その応仁の乱はどういったものか、と聞かれた場合、とまどう人も多いのではないでしょうか。

 

そもそも戦国時代の始まりは?

元をたどりますと、室町幕府の三管領(将軍につぐ役職。畠山氏・斯波氏・細川氏が任命されていました)の畠山氏と斯波氏の争いから、細川氏と守護大名山名氏の争いに発展し、それが1467年から1477年までの11年間も続いたうえ、さらに室町幕府8代将軍の足利義政の跡継ぎ問題も混ざり、争いが日本全国に拡大したため日本は内乱状態に陥ってしまったのです。

そのため戦国時代のはじまりはこの応仁の乱だ、と考えられますが、この乱の時点ではまだ室町幕府はその勢力を保っていたため、室町幕府が完全に力を失った、1493年の明和の政変を戦国時代の始まりと考える説が最近では有力です。

 

戦国時代の終わり

やがて織田信長が1573年、室町幕府最後の将軍となった第15代将軍の足利義昭を追放することで室町幕府を滅ぼしました。しかし、織田信長は1582年に本能寺の乱で死んでしまいます。そしてその後をついだ羽柴(豊臣)秀吉が1590年、小田原城の北条氏を倒した、いわゆる小田原征伐によって日本が統一されたのです。これらが戦国時代の始まりと終わりですね。

なお中国にも戦国時代があり、紀元前770年に周が都を洛邑に移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでを春秋戦国時代と呼びます。現在このあたりの時代を描いた漫画「キングダム」がヒットしているため、知っている方も多いでしょう。

 

信長の家も元々は一豪族

信長と両親

photo by Takeshi KOUNO

 

ところで日本の戦国時代は群雄割拠の時代として知られていますね。戦争や同盟で地図の勢力図を書き換えて「戦国大名」としてのし上がっていく、こういった感じですね。

分かりやすいところでは織田信長の織田家も、もとは一豪族にすぎない家だったのです。しかし織田信長の祖父である良信と、父親である織田信秀が徐々にその勢力図を広げていき、そして信長が中央勢力を握るまでになりました。そういった点から考えれば、信長の家は典型的な戦国大名だったのですね。

ところで2017年のNHK大河ドラマは女性が戦国時代の城主になったという、「おんな城主 信虎」ですね。なので戦国時代の女性の扱いも気になるところです。

しかしこの時代、外交上の理由で有名な武将に嫁いだとか、跡継ぎを産んでいたといった場合ではさすがに名前が残りますが、それ以外は家系図でも単に「女」とだけ記載されるケースが多かったのです。

再び信長を例に出しますが、信長の正室である濃姫は外交上の理由で美濃の斎藤道三のところから嫁いできたので名前が残っているのですが、子供を産んでいたという記録が残っていないうえに、いつ死んだかもはっきりしない状態だったりします。やはりこの時代の女性の扱いはかなりぞんざいだったのですね。

こんどは戦国時代の食事などに注目してみます。このころの日本は1日2食が基本でしたが、重労働を強いられる兵士がそれだけではさすがに保ちません。そのためこれに夜食がついて1日3食となっていました。なお、この1日3食が江戸時代に武士階級に取り入れられていったため、現在の食事体系の原型は戦国時代にあったと言えます。

有名な携帯食としては、米を加熱したのち乾燥させた「干飯(ほしいい)」や、腐らないように味噌の玉を焼いた「焼味噌」、そしてさといもの芋の茎を味噌汁で煮たものを干し、縄にして持ち運んだ「芋茎縄(いもがらなわ)」、ほかに現在でも携帯食にはかかせない「梅干し」も食べられていたそうです。

戦国時代は人気の高い時代ではありますが、さすがにこの時代で生きろ、と言われたら私は即座に「パス!」と言います。しかし、この時代は人物的に魅力がある人間が多いため、「あの武将の元で働けたらなあ……」と夢想してしまう人がいることも人気に繋がっているのでしょうね。

 

修学旅行の思い出

修学旅行
photo by muratama
さて、私の住んでいるところはいわゆる地方ですので、治めていたのは小大名という部類でした(それでも初代藩主はきちんと調べますと、いろいろ面白いエピソードがある武将だったのですが)。

そのため修学旅行で関東に行き、日光東照宮に行ったときはかなり興奮しました。写真を撮りまくりたかったのですが、まだデジタルカメラも存在しないころでしたので、フィルム付カメラ、というもので要所のみぱちぱちと写真を撮っていたことを思い出します。

さきほど戦国時代に生きろ、と言われたら即座に拒否するとは言いましたが、現在は戦国時代を擬似的に味わえるTVゲームという便利なものがありますね。やはり代表的なものは光栄(現在のコーエーテクモゲームス)のシミュレーション「信長の野望」シリーズや、3Dアクションの「戦国無双」シリーズでしょう。

しかし、私はシミュレーションも3Dアクションも大の苦手ですので、けっきょくクリアしたシリーズはありません。

余談ではありますが、戦国無双の1では「濃姫は光秀方に付いちゃうから信長の敵になるよ」と友達に聞いたとき、えらくショックを受けました。私の信長と濃姫像ですが、歴史小説家である山岡荘八氏がその著作「織田信長」で描いた、「結局のところ信長を本当に理解しているのは濃姫だけである」という姿に憧れていたという理由からです。

まあ、山岡荘八氏については他の著作「伊達政宗」の中で、大阪夏の陣で大阪城が落城したとき「わしは太閤殿下との約束を守れなかった……」と泣き崩れる姿があるのですが、それを最初に読んだときはまだ子供だったため、しばらくいわゆるタヌキ親父的といった一般的な家康像と真逆のイメージを持たされてしまったこともあり、複雑な気持ちが混在しているのですが。

http://www.city.gifu.lg.jp/3537.htm
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/sengoku2017/

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